「日本生まれの女の子が最後に残した言葉」

「日本にはもう何もない」
中三の少女が両親の母国へ行くことを決め、最後に残した言葉だった。
少女は日本生まれだが、生まれてずっとビザがない。両親が仮放免者だからだった。
頭の回転が良く、小さいころからどこか大人びた子供だった。大人に対しても筋が違うと思えば、何の躊躇もなく意見をしていく気の強さがある。その反面、甘えん坊で人懐っこい部分も彼女の魅力だった。
勉強も大好きで常に将来に対する夢を語っていた。しかし小学校でイジメにあい、話をしてくれる同級生もいない。高学年になったあたりから、だんだんと学校に行けなくなってしまった。教室に戻りたい、みんなと一緒に勉強がしたい。それでもみんなの目が怖くてできずにいた。中学生になっても状況は変わらない。結局中学校にも行けず、登校拒否の状態が続いていた。
心の中ではこれではいけないという葛藤を持っていたが、それでも行くことができない。地元の市議たちも相談に乗ってくれたが、いくら学校側に言って、先生が同級生に注意したところで、同級生は分かったフリをするだけで、改善はないと少女は相談することを諦めた。
自分は日本生まれなのにビザがない。ビザがないと保険証を持つことは許されないので病気でも我慢をせざるをえない。この不安定な状況が更に追い詰めていた。小さい頃はまだ明るかった彼女だが、だんだん覇気がなくなり、元気がなく声も小さくなっていった。
2023年の改正入管法が通ってしまったことは必ずしも納得のいくことではないが、その代わり日本生まれの子供たちや、その家族にビザが出るケースが増えた。そのことで救われた子供や家族は確かにいる。しかし色々、条件がありそれに該当しなければビザは出ない。その一つは「学校に行っていること」だった。
少女は学校に行かなかったのではない。行きたくても行けなかった。以前、少女の家族は入管に、「親には出ないが子供には出るだろう」と言われて期待していた。ずっとずっと待ちわびていたが、一向に声がかかることはなかった。
それでもビザが欲しい。通信でもいいから高校進学をしたいと考え直した。たくさん勉強がしたい、夢をかなえたい。お金のかからない塾があったら行きたい。表情は少し元気を取り戻していたことに私は安堵し、出来ることは力になりたいと考えていた。
私の知り合いが外国籍の子供たちに塾を開いているので、そこで彼女にも勉強を教えてくれないかと頼み、承諾をもらった。
ところが少女のラインがつながらなくなった。何日か様子を見たが、心配になり家まで行くことにした。呼び鈴を押すと本人が出てきた。
「お金がかからず、勉強を教えてくれる人を見つけたよ」
とすぐに伝えた。喜んでほしかった。しかし彼女の反応は重く、あれ?となった。
「私、もう帰るんだ・・・」
「ええ!?」
「もう日本には何もないから」
言葉を失った。突然のことに涙が溢れそうになった。あんなにやる気を出していたのにどうしたのだろうか。しかし彼女はずっと苦しんできた。そう決めたものに対して、自分は反対する立場にはない。
「さみしくなるよ」
「帰るときはまた連絡するよ」
だけど連絡は来ないまま彼女は帰国をしてしまった。一度も行ったことのない母国へ。
それから1か月ほど経ち、ラインで一言だけメッセージがはいった。
「連絡がおくれてごめんね」
それ以降は、どんなに私から連絡しても既読はつかないし返事はない。
向こうで安心して暮らしていけるのだろうか、後悔はないだろうか?もっと何かしてやれることはなかっただろうか?後の祭りとは正にこのことだ。
他の人から聞いた話だけど、お母さんの強制送還が決まり、入管に無理やり帰されるくらいならと自ら帰っていったと聞いた。それが真実かも確かめるすべは今のところない。
最後には自分で帰ることを決めたし、日本よりもしかしたら幸せに暮らせる可能性だってあるかもしれない。それでも、日本から追い出すこの国に違和感を覚える。親が悪いと言ってしまえば簡単だが、本当にそれだけでいいのだろうか?彼女にビザが出たところでいったい誰が損をするのか?誰が困るのか?不寛容なこの国に少し嫌気がさす。
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