フィリピン人妻Fさんと日本人夫Sさんご夫婦のお話

日本人配偶者がいても在留資格の出ないケースは多々あります。1年だけ帰国して、戻ってこれる制度に賭けるご夫婦も増えています。FさんとSさんもそうです。必ず戻ってこれるという保証はないまま、日本人配偶者はパートナーが戻ってくるのを待ち続けるしかないのです。
織田朝日 2026.09.20
誰でも
Fさんを見送る夫のSさんと友人たち

Fさんを見送る夫のSさんと友人たち

このご夫婦と知り合って、一緒に仮放免の付き添いに行くようになって、かれこれ6年くらいたっただろうか。

FさんはSさんと結婚して10年以上になるが、一向に配偶者ビザが出ることがなかった。Fさんが3度目の収容をされている最中、Sさんは事故で脊髄を損傷し、車いすの状態となってしまった。2人は互いに支えあい、細々と生活をしていた。常に離れることがなかった。仮放免手続きの日は、地方から2人で必ず東京入管に来ていた。その様子を見た職員だって正真正銘の夫婦であることを疑ってはなかったはず。それでも入管は最後まで夫婦と認めることはなかった。

Sさんは自ら学生時代の友人や元職場の人たちに頼んでFさんのビザが出るための署名を集めた。何度も議員会館に出向き、国会議員に陳情もした。願い事を叶えてくれるお寺があると聞けばお参りに行き、熱心に手を合わせた。裁判も始めたが、地裁、高裁ともあっけなく棄却となった。

このままだと強制送還されて最低5年は入国禁止になり離れ離れになってしまう。2人は話し合い、改正入管法による「出国命令制度」を申請し、上陸拒否を1年に短縮してもらって一旦、帰国する方法を考えた。

この手続きもなかなか大変だった。まず帰国のための片道チケットを買ってから、入管に弁護士を通して申請しなければならない。許可が下りようが却下されようが、そのチケットで帰国は絶対にしなければならない。結果が分かるまでの間、ストレスは半端ではないが、他に方法がないので仕方がなかった。

後日、東京入管に呼び出され、上陸拒否が念願の1年に短縮された。Fさんは安心して涙が溢れた。しかし職員は、「1年経ったら必ず入国できるわけではありません。その頃には状況も変わるかもしれませんから」と淡々と説明した。

不安は尽きないまま、帰国の時がやってきた。Fさんが不在の間、Sさんはショートスティや支援者の世話になり待ち続ける。

成田空港には私を含め友人が集まった。最後にみんなで記念撮影を撮り、しみじみ涙のお別れの予定だった。が、Fさんは空港のスタッフに案内されるままに、セキュリティゲートをうっかり通ってしまった。そのまま戻ることが出来ず、Sさんや友人たちと直接、お別れの挨拶ができなくなってしまった。なんてこった!

仕方なくラインのビデオ通話でお別れを告げた。想像とははるかに違うお別れとなりスッキリしなかったが、1年後には今度こそ配偶者ビザをもらい、再び日本へ入国して2人末永く幸せに暮らしてもらいたい。今はそう祈るしかない。

無料で「織田朝日の見る世界」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら

誰でも
院内集会「入管法改正から3年 もう一度、子供たちの声を聴いて」の報告
誰でも
参議院議員会館にロビイングへ行ってきた。
誰でも
「世界難民の日 よだかれんさんのお話を聞く」
誰でも
「ビザのない外国人は運転免許証が更新できなくなる件について」
誰でも
「カメルーン人男性、地裁、高裁とも勝訴。難民と認められるまで、何故14...
誰でも
映画「みんなおしゃべり」は面白い
誰でも
「日本生まれの女の子が最後に残した言葉」
誰でも
終わらないクルド人問題